不快な感情を感じ切ると、超ハッピー現象が起こる。
無理にエセポジティブになるわけではなく、無意識に、超自然と。
何度か経験をして体感に落としてきた。
いま、デカい感じる案件が起こっていることに
気付いたので記しておく。
今までの人生の中で、
何度も嬉しいこと、達成したこと、華やかなこと、がたくさんあって
何もない日に豊かだぁ〜と感じられることもいっぱい増えてきた。
不良なときはトコトン不良でいられるし
そんな自分もいいよね、と
けど、そんな日が過ぎて
また無価値感を感じ、なにか足りないを感じ
なにか嫌なことが起こるたびどん底にいることに疲れた
もう、ほんとうに何にもなくても
ただ生きてるだけでニヤニヤしたい。
表面で見ると浮き沈みあるようにみえても
ただそこにいるというだけでもっと
自分を信頼しきっている自分がほしい。
いちおう自分なりには、そのたびに
寂しさや不安を感じる自分ちゃんと一緒に居る時間を作ったり
SNS断食をしたりして、
そこにいる、をしてきた つもり だったことに気がついた。
もっと、繊細になれる。
1月は、とくに感じる案件が多い日々だった。
というか、
そこに敏感に気づけるようになっていることが
すでに大成功である。うれしい。
空白の時間を作ることができることもうれしかった。
けど、SNS断食をして、
漫画を読んだりして何にもない日を過ごしているかのようで
よく見たら、すぐに掃除をしたり
すぐになにか食べたりすぐに漫画を読んだり
すぐに、なにか 行動、をして気を紛らわしている自分を発見する。
仕事が終わったら、無意識に(無意識というか無性に)
お酒を飲んだり、ご飯を食べたりする。
え?これって、
めちゃくちゃ不快を紛らわしてる行為じゃね?!と、気づいた。
昨晩あらためて、
明日はまじで、なんにもしないで丸一日、
ただ横たわっている時間にしてみよう、と思った。
今日、朝起きたら、まず15分だけ身体を感じよう、と思っていたのに、
すぐに携帯をいじりたくなって、すぐになにか口に入れたくなって、
5分すら感じられていない
じっとしていても、
誰にも急かされていないのに、掃除をしたくなる。
動いて、気を紛らわして、不快をかんじたくない
感じたいと頭では思っているのに、
からだがすんんんんんごい抵抗を起こしている。🤣
そのからだの反応に目を向ければ向けるほど
イヤダァァァァ、何か食べたい、何か飲みたい、
酒を飲みたい、タバコ吸いたい。🤣
あぁ、そっか、この
イヤダァァァァをまず、感じよう。
嫌だけど、ちょっと、止まってみる。
じっとしてみる。
あぁ、動きたい、
こわい、こわい、こわい、、、、
おなかがドクドクしている。
背中がかたい。
最近起こった、見逃そうとしてきた、不快 が頭に浮かんでくる。
先日の大好きな推しのMVの撮影は、
すごい楽しいはずなのに、ドッと疲れて、すごく楽しくなかった。
大好きな友達が誘いに乗ってくれなくなった。
楽しみな予定があったのに、結局いけなくなった。
ドッと疲れた撮影を思い出すと
芸能事務所の最初の頃の仕事で、撮影に行くとき
エキストラがすごく苦手で行きたくない、
と思っていたことを思い出す。
一見、上昇思考で、
もっと上に行きたい!主役でやりたい!とか
ヤル気を燃やしているものに見えた
でもそれらはよく見たら、
ずっと同じ感情を沸き起こしてくれていた出来事だった。
エキストラの現場にいくと
エキストラ役の人たちってずっとおしゃべりしていて
それが嫌だった。
まさにその現場だったけど、今回は見えるものが違った。
その人たちがおしゃべりしてるのが嫌なのではなくて
そこに馴染めないことに焦りを感じる自分が嫌だったのだ。
かといってひとり時間と割り切れない自分も嫌だった。
コミュ力があるわたしは、わりと周りの人とおしゃべりできるし、
その日も、同じ推しに対して盛り上がってきゃっきゃして
楽しく話している風、に過ごした
けど、そこには、なんか無理してる自分がいて
周りを見るとみんなそれぞれグループが出来上がっていて、
同じテンションで話さなきゃ仲間はずれにされる、
無意識にそんなふうに感じていたことに気づいた
ベッドで、横たわり、
携帯もなにも放り投げて、
動かない、というより、
1ミリもからだが動けない感覚を感じる
あぁ、、、
わたしがこのまま動けなくなったら
誰も見てくれない、誰も助けてくれない
みんな楽しそう、がんばって起きないと
仲間になれない、愛されない、認められない
さみしい、このままひとりで死ぬんかな、、、
仕事の予定をいれるのも
この感覚を感じたくないからだとわかる
仕事に行けば、確実に褒められるし
確実に愛されている ような ことばを言ってくれる人たちがいる。
からだがこのまま動けなくなったら
その仕事にも行けない、
様子を見にきてほしいと甘える人もいない
さみしい、こわい、こわいよ
ひとりにしないで
ひとりにしないで
みぞおちがグウぅ、と苦しくなる。
腹が筋肉痛になりそうなほど硬直している。
大好きな友達が誘いに乗ってくれなくなった。
楽しみな予定があったのに、結局いけなくなった。
これも、今までの人生を思い起こしたら
何度も起こる現象だった。
そのたびに思った、
大丈夫、ひとりでも生きていけるし
どうせ死ぬ時はひとりだ
母は、わたしの昔話をする時にいつもいう
あいみは幼稚園になる前から
誰にでも無邪気に話しかけてコミュ力がすごかったよ
そういえば、幼稚園からあがるとき、
仲よかった友達たちがみんな受験でいなくなっちゃって、
かわいそうだったね。
ママ、、、たすけて、、、
ひとりにしないで
会う人々には言われる、
友達多そう、みんなに愛されてるね。
ほんとうはそうなんだとどこかではわかってる
でも、実際はそうじゃない
そうじゃないように見えている、くるしい
もっと、ほんとうのつながりがほしい
素の自分でいいって言ってたじゃん
そのまんまの自分が正解って言ってたじゃん
嘘つき
ありのままってなに?
ベッドで動けないまま、
なにもできない自分のまま
もう少し感じてみる
とても疲れたので、午前の感じる時間はこの辺にする
でも、すごく小さなこどもの自分を感じられた
現実を変えるというより、感じられた、ということがとても嬉しい。
明日は仕事に行きたいし会いたい人がいるから、
ほんとうは数日行かないで
このままベッドにへばりついていたらもう少し感じられそうだけど、行く。
帰ってきたらまたやろう。
どんな現実に見えるだろうか
もしまだ悲しかったら
その悲しいをそのまま、
笑顔がいい人、コミュ力高い人に変換せずに
そのまま行ってみよう。
もし悲しい現実になったら
もっと感じられるだけだから大丈夫だ。
どうなるかなぁ。
追記
感じる、をやっていたら
悲しい現実を見せてくれた人たちは、やはり
演者さんなんだと腹落ちする。
いまのタイミングで浮き上がってきた
わたしが感じたがっている感情を
感じやすくさせてくれるために演じてくれている。
いままで、
すぐにいろんな人と縁を切ろうとしてきたわたしだったけど
その瞬間、その人とのエネルギーが近づくか離れるか、
だけなんだなぁとあらためて思った。
モヤッとさせてくれた友達たちは、やはり
エネルギーを敏感にキャッチするプロ集団なんだなぁと
なんだか誇らしくなったよ。ありがとう。
午後の話↓
らぶみ