赤ちゃんの頃の【存在してるだけで価値がある】を、思い出したいよね?



つづき



頭ではやりたいと思っているように感じてても、
実は気づいてない本音は、全然やりたくねー!とかいうことがたくさんある。


本音(思考じゃなく自分ちゃんのからだをマジで感じること)で、生きるようになると
仕事や習慣、好きだと思っていたことを手放す流れになったりする



え?大好きだからやってるんだけど?

と、いうのが実は自分を言いくるめるための嘘で、
実は認められそうだからやってたけど
本当はまじやりたくねー!と感じていることが浮き彫りになって、

本音のほうの、やりたくねー!を叶えるように現実が動いてくれるのだ。


えー?!やめるの?!むりむりむり!

だって、得意だよ?好きだよ?稼げてるよ?問題ないよ?!

と、抵抗しても、



本当に好きなことで、本音で、からだが楽に、
超ハッピーに生きたい。と、宣言してしまったから、自然の流れに従うしかない。笑



それを辞めた先に

新しい世界が待っているのは目に見えている。

吊り橋から落ちてみたら美しい花畑が広がっとるかもしれないよ。
前に先輩にもらったことばを思い出す。

ここ最近、まじでお酒も飲まなくなった。

からだの感覚が鈍くなるから飲みたくない。

あーーんなに大好きだったのに。笑





本腰入れて、毎日からだに残った感情を感じるようになってから
出口の見えないつらい日々が続いていた

つらいというか毎日モヤモヤ状態で

(この、実は毎日モヤモヤだったというのに気がついただけでまじうれしい案件である)



怒りを出してはモヤモヤの体感を感じたり
感じるのに耐えられなくて食に走ったりしている。



ワイはどんだけ本音をためてきたんや、、、





仕事は、2週間ほど休んでいる

2日間だけ、数時間仕事した。


ほんとうはもっとやりたくて
仕事行ったら楽しいのに

行こうとしたら
突然声がつぶれたり、突然炎症を起こしたりして、
いけない日が重なった


いま、わたしのからだが

溜め込んできた、
いけない・自分だけできない・くやしい感情を
感じたがっているのはわかっていた。

それの大ボスに近づいてきたのかな?と思った

めっちゃ動きたいけど、あぁぁぁ、
これはまじ感じるチャンスだと思い、
何度も行きたい行けないモヤモヤを行き来する。

何か行動したい=ネガティブな感情を避けたいからだ。



2週間も何もしないと

まじで焦りが湧いてくる

なんにも人に貢献できてないじゃん
生きてる意味ないじゃん


どん底まで潜っていきながら気がつく



あれ、、、?
これってもしかして、、、

なにかを辞める流れ、、、?

うそだ、、、こんなに得意で大好きな仕事なのに
辞めるとか?!いや、ありえへん!!!



でも、本当はうすうす気がついていて
見ないようにしていた

もっともっと幸せになれるのに、
自分でブロックしていることに。


ていうかいま何にもしてないで

ただ存在していられる家と金と服と食と
あったかい太陽と布団と風呂と

なんでもあるってまじですごいやん、ワイ。

昔だったら借金あったりもっと焦ってたか
むしろ止まるなんて死んでも無理って感じだったかもしれない、
それだけでもすごい変化を感じて嬉しい。




そんでもって



この間に2日間、数時間だけ行った仕事では


ちょーーーーーーーーーーみんな優しくて
え?!そんなことまで言ってくれるの?!
って、いつもクールな人から聞いたことがないような優しさもらって


なぜかマッサージたくさんしていただいたり
食べ物たくさんいただいたり
笑いをたくさんいただいたり

至れり尽くせり(?!)



前にノートに書いていてずっと叶わなかった望みが叶いまくりの2日間で、
まじかよぉぉぉ?!ってニヤニヤしまくった。

というか、

めちゃくちゃ愛を受け取れるからだになっていた
ということかもしれない

ううう、うれしい!!!

ますます仕事いきたい!!と、テンションが上がったところ、

体調不良で、休まざるを得なくなった
いくなということだ。🤣


ここずーーっとモヤモヤしてつらかったのが
ここまでなにもできないと、笑えてきた。

まじでどこもいけないんですけど🤣

せっかく色々やりたいことのために奇跡的に貯められたお金もなくなるんですけど🤣




今日は、すごく久しぶりにお気に入りの喫茶に来た。

そうしたら、
またおまけでお菓子と、
さらに他の席のおじさんからお菓子もいただいた。

お花屋さんに寄ったらおまけでお花いただいた💓

ありがとうすぎる✨😭

なんかごきげんすぎる

何にもしてないのにごきげんすぎる

仕事に行けなさすぎてうけすぎる

ゲームやりすぎて腱鞘炎になってうけすぎる




えっ?

もしかして、いらない概念が手放されたかも



モヤモヤ=無視していた感情

を感じ切ったら、


なんにもしてくてもまじでごきげん

そして

なにもしてない自分には価値がない
という、概念がなくなったかも

想像しても、モヤモヤしない
うぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!🥹✨✨

まじうれしい。うれしい。うれしい。




この、うれしさも、流さないで

味わう、味わう、からだで、味わう。









らぶみ

大嫌いと叫んだ方が伝わる愛もある



勘違いや意見のすれ違いから
ギクシャクしている友人がいた



もう二度と会わないかもしれないけど
そしたらご縁の切れ目でしょうがないよね、と思っていた


すれ違い。
相手の言い分を全部受け入れられないし、
わたしの言い分も押し付けることはできないから、どうしようもない




しばらく時間があいて、会うことになった
怒りはなくなったがちょっとモヤモヤする



もしかして話し合うことになるのかな、めんどうだな、、、
それとも、何事もなかったようにゲームとかして楽しい時間過ごせるかな、、、



どちらにせよ、みぞおちからはモヤモヤを発しているので
一旦自分自身のところにもどって

モヤァを感じることにする。



頭では、縁が切れてもいいやあ!と平気な風だけど、
からだの方ではとても怖がっているらしい



本音を伝えた末に相手の方から、
縁を切られる現場を妄想してみる。


あーーー、また大好きな人が離れていくんだ、、
やだよ、こわい、こわい

心臓がバクバクして、嫌な感覚だ。

からだはこの、“悲しみ” を、感じたがっているようだ。




会う前に、内側に入り体感を感じる時間をとる。
離れる、こわい、さみしい、かなしい、、、。
感じてたら、なんか怒りもでてきたから、ふざけんなー!!と叫んでみる。



しばらく味わっていたら、モヤモヤも消えてきて、
ほんとうの意味で、もうどっちでもいいや!という感覚になった。



そして、久しぶりの再会。。

友人はぎこちないけど嬉しそうな顔をしていた。
たぶんわたしもそんな顔だったんだと思う



他愛もない話をしていたら、
わたしのこと嫌いなんでしょ?と言われて、
大嫌いだよ!!!と、言ったら

すごく面白くなっちゃって、ふたりで笑った。

そして、ふたりともすごく嬉しそうな顔だった。

真正面から大嫌いだよ!!だなんて、
初めて言った😂


今までのわたしなら
大好きだよを伝えた方が上手くいくと思っていた

嫌いなんて言ったら全部終わると思っていたからだ。
人に嫌われたくないが強すぎて
好かれたいがあまり
そんな怖いことはできなかった。だいぶキモいやつだったなw

けど、伝わっているのはことばではなく

エネルギーであって


その件に対しての悲しい、こわい、という感情を先に感じ切ったわたしは
悲しい、こわい現実を見る必要がなくなって

ただ、会えたらやっぱ嬉しいな。

そんなエネルギーだった。




それと同時に

自分への信頼感と、相手への信頼感がまたひとつ大きくなった
まだ起こってもない、こうなるかも。というのは自分だけの妄想であって

大好きな友人のことを
そんなことで離れるような人なんだ!と決めつけてるようなもんで

まぁ逆だったら、
そんなことで離れるとか信頼なくて悲しいと思うし

自分のちっぽけな経験のなかだけで測るなんて
もったいないことだなと思ったよ。




すべては、
自分のからだが感じたい(本当は感じたかったのに閉じ込めてきた)感情を
感じさせてくれていて

本当に、相手はそのために演じてくれているだけ。

自分の目に見えている世界は
自分の目で見たい範囲だけ見せてくれていて
自分が見たいようにしか、見えていない。




嫌なことが起こっているなら、

そこに残っている感情をからだで感じたいだけなのである。





感じ切ったら、それはただ起こった中立の出来事になる。
どう捉えるかは自分次第。







らぶみ

愛されてるのを確認したくて動いていないか?



楽しくてからだが勝手に動いてしまうんです!状態になりたい!!




やりたいこと、得意なことがたくさんある
そして、それらを使って仕事作りたい
いろんなアイディアが浮かんでいるのに

からだが動かない。よっこいしょ、とか
やるぞ!としないと動かないことにすごく嫌な感じがしていた。

ついこの前まで、あんなに動けていたのに


からだを観察していたら
無意識に動けない自分にイラついている自分がいることに気がつく。


好きなことで生きるということに
始める年齢も環境も関係ない
やってきたからいいとか初めてやるからまだダメ、とかなにも関係ない



今、わたしの頭の中に浮かんでいる

やりたいことがあるのに、動けない


この、やりたいことは全て

愛されそうだから、認められそうだから
価値を確認できそうだから
これならお金が稼げそうだから



このスタート地点から
出発して思いついたことたちのように感じる

なんということ、、、

器用貧乏なのは

母からの愛を確認したくて
母に認められたくて
そのためなら頑張れる!!

そんな感じでがんばって一通りまぁまぁできるようになったものの
本当の自分ちゃんの本音ではないため
途中で飽きていたからなのかもしれない気づく。

うぉぉ。。。







今別にお金にも家にも困っていない

そのやりたいことらをやらなくても
なんら問題がない




ほんとうにやりたいことなら
勝手に体が動いているはず

よっこいしょ、とするのは
ほんとうはやりたくないからだ。

その言葉をもらって、本当にそのとおりだと感じる





SNSで輝く憧れの人や生き生きとしている友人たちを見て
からだがザワザワする


できない、できない

自分だけができない、みんなに置いていかれる
置いてかれるのがこわい、こわい、こわい

できなくてごめんなさい
喜ばせられなくてごめんなさい

価値を与えられなくてごめんなさい
価値がなくてごめんなさい

みんな、助けられなくてごめん
みんな、喜ばせられなくてごめん

ママ、助けてあげられなくてごめんね
ママ、喜ばせられなくて、ごめんね



いま、からだが感じたがっているのは
この焦りと無価値感という感覚のようだ




悲しみの感情に浸りながらも
からだはホッとしているのがわかる


ベッドにへばりついて
からだから湧き出てくる悲しさを感じていた



タイマーをかけて瞑想みたいにしようかなと思ったけど、やめた



ふと、時間も人も気にせずに
感情を感じていられる状況とこの空間に豊かさを感じる

これは、昔の忙しい自分がすごく望んで欲していた環境で
いつのまにか叶っていた。



今まで集めてきた道具がたくさんある。
やりたいと感じたらすぐにできる環境が揃っている。



声を出したくなった
文章を書きたくなった

からだが勝手に動き出す

よっこいしょではない。うれしい。





つづく








らぶみ

アドバイスを押し付けたい相手は、本当はじぶん

3年ほど前、量子力学やエネルギーのしくみなどを知ったワイは、
これはすごい!と、母に伝えたくてしょうがなかった。


身体を悪くして大変そうな(ように見える)母、
天才的な才能をもてあましている(ように見える)母

に、おすすめしたかった。
おすすめしたいという名の押し付けで、自分が気持ちよくなりたいからだった。



病気=つらそう、ひとり=寂しそう
声のトーンが低い=暗そう
無視された=嫌われた

などなど、
ワイたちはたくさんの概念と概念を結びつけていてさ、
ほんとうは違うかもしれないじゃん?
そして自分が採用してる概念そのまんまの現実を見ているわけなんだけど



何かふとした瞬間、何か出来事があって
モヤッとしたときに気づいたら

その、モヤッとするからだをじっと感じる。
すると良い・悪いのないゼロポイントに戻って
勝手に自分で創り上げた、いらない思い込みがいつのまにか外れてるんだ。

人生はそれのおもしろい練習なんだ。


ワイが何度も母に押し付けようとしていたとき、
ワイの腹の中はモヤモヤしたままだった。

身体が悪そうで才能をもてあましている母、というのは、
わたしがわたしの中にある概念で勝手に作った映像だから、真実ではなくて、
それでからだは、みぞおちのモヤモヤザワザワという信号で教えてくれていた。

そんな上から目線ぽいエネルギーで伝えるアドバイスなんて届くわけないし、
あまりにもかわいそうなイメージ像で失礼しちゃうよね🤣


なぜ伝えたいのか?というと
心配とか応援したいとかいうのではなく、その下にある、
いい娘でしょ?という黒い承認欲求が隠しきれない感じで

かわいそうなイメージはまんま自分のことで
(あんたのことや!!)
自分が変わりたいのに変われないから
人にすごい変わるらしいよ!と自分の代わりにやらせようとするのだ。

変えたいのはほんとにただ自分のことだけだった。

それからしばらく
からだのモヤモヤを無視しない、
ちっちゃいモヤもキャッチする、からだの感情を感じる、を練習して



わたしは根拠なくごきげんでいる


という存在状態のゴールを何度も思い出してはセットしていた。



そうしたらさ、

相手によって=ワイのごきげんに影響ある
という概念の結びつきがなくなって

相手がいてもいなくても、
相手が体調悪かろうが機嫌悪かろうが

根拠なきごきげんにはなんにも影響がないし
アドバイスを押し付ける必要がなくなった

ワイは、自分が楽しくて、目の前の人が笑ってたら、いいな。が、
ゴールだという純粋な気持ちを思い出した。

母の身体の悪いところにフォーカスすることよりも、
ワイが見たい、母の楽しそうな姿をイメージするようにした。



今日はわたしの誕生日と、お母さんになった記念日。
実家に帰ったら、ねー!サプライズがあるのー!とめちゃくちゃ嬉しそうに
自家製パテ、料理とケーキをだしてくれて、なんてかわいいのー!と思った。

しかもほんと毎度、高級レストランのようにおいしい
それを母は、実験が好きだから楽しいと言っている

めちゃ楽しく作ってくれたんだろうなぁ〜〜〜

食べ終わってから、持ってきたゲームやろうと誘ったらすごく盛り上がって、
大笑いしてあっというまに時間が経った。

今日は大笑いする!と朝、設定していたから
その通りになって嬉しくて、
今この瞬間の1秒をからだぜんぶで味わった。

母から、身体の不調の話を聞いても、
まったく!ザワザワしなかった。

思い込みが外れた証拠だ!と気づいた、うれしい。

こんな場所にいきたいな。
そんで冒険とかしたいな。楽しそうだな。


父の足も動くようになってるらしいとチラッと情報が入る。
おぉ、よかった!

父も最近足を悪くしていて、しばらく動きそうになく、
仕事人間の父のつらそうな顔やだなぁと思ったけど
それも、モヤァを感じきったあとは、心配にフォーカスするのをやめて

ごきげんに歩けるようになった父の笑顔を
イメージするようにしていたところだった。

チラッと入る情報はすべて、望みが叶ってる未来からのカケラだ。

からだの調子悪くなるって、
細胞たちがからだのなかにある不要なものを出そうとしてくれていて、
めっちゃエネルギーあるっていうことだし

悪い=ダメ

といういつしか作った思い込みはなくなった✨

母も父もいつも天才的な才能を発揮して人生を楽しんでいるし、
なんかしらんけどいつもごきげんでふざけて笑ってる人だわ、と思い出す。

ザワザワモヤモヤは
自分のいらない概念に気づかせてくれて、それを手放すきっかけになり

改めて、ワイの根拠なきごきげんが世界を変えるんだなと思った💪

人の心配してる暇あったら自分ちゃんへの信頼増やす!

以上!

パテとケーキとゲーム
ファブルが好きすぎて深夜に練習する人







らぶみ