大嫌いと叫んだ方が伝わる愛もある



勘違いや意見のすれ違いから
ギクシャクしている友人がいた



もう二度と会わないかもしれないけど
そしたらご縁の切れ目でしょうがないよね、と思っていた


すれ違い。
相手の言い分を全部受け入れられないし、
わたしの言い分も押し付けることはできないから、どうしようもない




しばらく時間があいて、会うことになった
怒りはなくなったがちょっとモヤモヤする



もしかして話し合うことになるのかな、めんどうだな、、、
それとも、何事もなかったようにゲームとかして楽しい時間過ごせるかな、、、



どちらにせよ、みぞおちからはモヤモヤを発しているので
一旦自分自身のところにもどって

モヤァを感じることにする。



頭では、縁が切れてもいいやあ!と平気な風だけど、
からだの方ではとても怖がっているらしい



本音を伝えた末に相手の方から、
縁を切られる現場を妄想してみる。


あーーー、また大好きな人が離れていくんだ、、
やだよ、こわい、こわい

心臓がバクバクして、嫌な感覚だ。

からだはこの、“悲しみ” を、感じたがっているようだ。




会う前に、内側に入り体感を感じる時間をとる。
離れる、こわい、さみしい、かなしい、、、。
感じてたら、なんか怒りもでてきたから、ふざけんなー!!と叫んでみる。



しばらく味わっていたら、モヤモヤも消えてきて、
ほんとうの意味で、もうどっちでもいいや!という感覚になった。



そして、久しぶりの再会。。

友人はぎこちないけど嬉しそうな顔をしていた。
たぶんわたしもそんな顔だったんだと思う



他愛もない話をしていたら、
わたしのこと嫌いなんでしょ?と言われて、
大嫌いだよ!!!と、言ったら

すごく面白くなっちゃって、ふたりで笑った。

そして、ふたりともすごく嬉しそうな顔だった。

真正面から大嫌いだよ!!だなんて、
初めて言った😂


今までのわたしなら
大好きだよを伝えた方が上手くいくと思っていた

嫌いなんて言ったら全部終わると思っていたからだ。
人に嫌われたくないが強すぎて
好かれたいがあまり
そんな怖いことはできなかった。だいぶキモいやつだったなw

けど、伝わっているのはことばではなく

エネルギーであって


その件に対しての悲しい、こわい、という感情を先に感じ切ったわたしは
悲しい、こわい現実を見る必要がなくなって

ただ、会えたらやっぱ嬉しいな。

そんなエネルギーだった。




それと同時に

自分への信頼感と、相手への信頼感がまたひとつ大きくなった
まだ起こってもない、こうなるかも。というのは自分だけの妄想であって

大好きな友人のことを
そんなことで離れるような人なんだ!と決めつけてるようなもんで

まぁ逆だったら、
そんなことで離れるとか信頼なくて悲しいと思うし

自分のちっぽけな経験のなかだけで測るなんて
もったいないことだなと思ったよ。




すべては、
自分のからだが感じたい(本当は感じたかったのに閉じ込めてきた)感情を
感じさせてくれていて

本当に、相手はそのために演じてくれているだけ。

自分の目に見えている世界は
自分の目で見たい範囲だけ見せてくれていて
自分が見たいようにしか、見えていない。




嫌なことが起こっているなら、

そこに残っている感情をからだで感じたいだけなのである。





感じ切ったら、それはただ起こった中立の出来事になる。
どう捉えるかは自分次第。







らぶみ

投稿者: らぶ美

本心で生きる為に書いてます。

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